山東省の学生の故郷訪問ツアー
4/29(火)風が強いが、気温はかなり上がってきた。午前中は泰山登山と中間試験の報告をして、明日30日の授業は、午後から行うことにして、かなり昔の日本のドラ マ”東京愛情惜話”を三組と一緒に見たが、何故か三組は参加者が少なかった。終った後で、感想を聞くと、昔見たので、あらすじが分かっているようで、かな り速いスピードであったが、満足しているようであった。やはり最近のアニメを次回は見せてやりたい。 明日は何と一日水と電気が止まるとかで、急遽休講に なったようである。急な話はいかにも中国らしい。 やっと日本からEMSが届いた、6,000円の送料は高過ぎる!送って貰うのを厳選することが必要であ る。 泰山登山の写真をWebアルバムにアップして、友人20名ほどに案内しておいた。 7時に寮を出発して、7日までの八日間の山東省ツアーに出かけ る。どんなハプニングが起こるか、少し心配な面もあるが、のんびりと楽しんできたい。 少し早めにということで、7:30に寮を出る。見送りに3人も来て くれた。1時間半で済南駅につく、威海に帰る丹丹さんと一緒になる。新幹線用の待合室に居た。さすが綺麗である。待つこと3時間、30分前に列車に乗る。 済南が始発なので、早めに乗れるのは助かった。久し振りに三段ベッドの寝台で寝たが、うとうとしただけで、熟睡は出来なかった。さすが、事故の後の慎重運 転のせいか、1時間遅れて、煙台に着いた。午前7時だった。
4/30(水)
駅の出口は改札口とかけ離れていて、かなり歩き、やっとタクシーを捕まえて、朝食を食べに行った。その後。于さんの伯父さんが車で迎えに来てくれて、ホテ ルへ、政府関係の宿舎でシングルルームで一泊40元であるが、あまり綺麗でなく、シャワーも共用である。何もすることがないので、これで十分。すぐに近く の権氏の博物館を見学して、小さな丘に登り、早めの昼食を採ることになった。11時前であった。鯉のぶったきりで臭みも無く。お腹一杯になる。ビールも5 人で5本も飲んでいた。伯父さんに全て奢っていただき、感謝の言葉も無かった。 眠くなるで、直ぐに世界の植物園へ行き、綺麗な花や珍しい、トマト、ひょ うたん、南瓜の水栽培を見た。素晴らしいものである。牡丹ももうかなり咲いており、いい時期にめぐり合えた。3時間程過ごして、バスでホテルへ、直ぐに シャワーと洗濯をして、写真と取り込み、バッテリーを充電した。お腹はすいていないんで、夕食はパンと果物で済ませた。部屋からInternetができる か、Tryしてみることにした。 夕べ余り眠れなかったので、横になると、転寝をして10時まで寝て、一度起きたが、また寝てしまった。
5/1(木)
本当によく寝た、12時間は寝たような気がする。 風も無く暖かくなりそうである。パンとコーヒで朝食を取る。8時半に迎えに来てくれるまで、 Internetを試みる。外部への発信がだめで接続できず諦める。 8時半に于さんが大きな苺を持ってきてくれた。見事なもので、味も最高であった。暫 くして、王さんも到着。 外に出ると汗ばむほどで、直ぐにジャンバーを脱いでしまうほどで暑くなった。 しかし今日から5/1の連休のせいで、バスが全然 現れず、1時間程待ったが、タクシーが煙台行きを拒否して乗れず、やっとのことで、駅まで出た。少し早かったで昼食を採り、再びタクシーでワイン博物館へ 行った。彼女達も初めてのようで、30元は高いようであった。60歳以上は半額と書かれていたが、中国人の国籍でないと駄目とのこと。どこにも書かれてい ないのに、矛盾しているが仕方が無い。 1892年に300万元で設立されたそうで、中国最大のワイン製造所になっているそうである。高いブランデーは何 と4,000元も値段が書かれていて、こんなものを誰が飲むのかと思われたが、聞くことが出来なかった。地下の貯蔵庫で試飲があり、赤白ワインを少し飲ま せてくれた。まだ3時過ぎであったので、海岸と通りに出て、潮風に当たり、浜辺に沿って散歩する。久し振りに綺麗な海を見ることができた。4時に于さんは 伯母さんと会うことになっているとのことで、一人先に帰ってので、王さんとビールとアサリの蒸し焼きで喉を潤して、バスでホテルまで帰ってきた。夕食はホ テルのレストラントで食べることが出来なかったので、近くに出かけ、鯵の醤油炊きと牡蠣フライを作って貰い、部屋で食べた。これも久し振りの魚で満足をす ることが出来た。今日は写真を120枚しか撮らなかった。
5/2(金)
何度か途中で目が覚めたが。6時に起床。今日もいい天候になりそうであるが、西の方から下ってきそうである。 苺、コーヒ、牡蠣のフライで朝食を取る。 8時まで少し時間があるが、昨夜壊れたメガネを直すのには、自身がないので、彼女が来るまで待つことにした。 洗濯物がまだ乾いていないので、ナイロン袋 に包んでいくことにした。 直ぐに今回の2番目の訪問都市である威梅市へバスで向かう。連休中なので、混みそうな気がする。 8時過ぎに彼女が現れて、于 さんのお父さんが作ってくれた天婦羅を持ってきて呉れた。あり難いものであった。 チェックアウトを済ませて、メガネ屋にいくと、簡単に直して呉れた。バ スで40分ほど掛かって、煙台バスターミナルへ。すでに王さんは来ていた。威海行きのバスの待合には、かなりの列があり、臨時便の9時半発に乗ることがで きた。2時間で着く。途中の道は、威海の方が綺麗であった。海岸線に沿って走るので、景色も良い。 11時半justに威海バスターミナルに着く。まだ汪 さんの姿は見えず、少し心細くなったが、2-3分すると現れたので、ほっとする。 先にホテルにチェックインし、Internetが使える部屋は少し高い が、140元であった。李さんは、ここから1時間程離れているそうで、30分後に姿をみせ、早速昼食を採りに出かけたが、開店に間に合わなかったようで、 寿司にはありつけなかった。 食事後威海公園に行き、**島に渡ろうとしたが、今日は休航だそうで、明日再度挑戦することにした。諦めて、海上公園に向 かった。大きな公園で砂浜が見事であった。 海水浴ができるようである。 新鮮なイカの串焼きを食べて、お腹い一杯になる。 その後刺身を食べに海岸近く の日本レストラントに行ったところ、生憎休業と、さっぱりの歓迎には、参ってしまった。仕方なく、近くのレストランに行き、交渉して、韓国料理店から刺身 を取り寄せようとしたが、最低50元とのことで。諦め、スーパでお寿司を買ってきて、食べた。32元で済んだ。 本当にお腹がパンクする程になり、二駅程 歩いて、ホテルに帰ってきた。9時前だった。 大橋先生と森氏からメールが届いていたので、道中の様子を知らせておいた。
5/3(土)
少し風が強くて、寒そうであったので、長袖にした。風邪の引き始めの兆候で喉が痛む。 8時15分にホテルを出て、8時25分に集合場所に着く。バスで 15分程で、今日の観光予定の船着場に。観光料は120元と高いのには、驚く。”劉公島”という、威海衛の会戦の折に、舞台となった島のようで、日清戦 争、中国では甲午戦争と言うらしい。色んな残凱と記念品が保存されていて、観光客で一杯であった。いまは海軍の訓練基地になっているようである。 昼飯 は、目張るの醤油炒めとアサリの蒸し焼きで86元もした。 花もかなり咲いていて、チゅーリップが花盛りであった。一日島で遊び、3時半に港に戻り、市政 府の建物を見て、マーケットを散策して。汪さんの家によばれた。ホテルから近くにあった。 海の魚、海老、あさりと爬をたらふく食べさせてもらった。西 瓜、苺とお腹一杯ご馳走になった。お土産はタバコ一箱で、申し訳ない限りであった。明日の切符も買ってくれていて、本当にお世話になってしまった。 明日 は6時に起きて、”淄博市”まで行く。崔さんが叔母さんの家で待っていてくれる。何とか行けると思われる。
5/4(日)
今回のTourの後半に入った。 朝からとうとう雨になった。初めてである。結構降り方が半端でない感じで、駅まで出るのが大変になりそうだったが、段々 と小雨になってくれ。汽車に乗る頃には止んでいた。5時半に起きて、6時に風邪薬を飲んで、チックアウトをして、二人が来るのを待った。7時過ぎになって いた。バスが来ないので、タクシーで駅まで出た・朝食は昨夜買ってもらったパンですませた。昼間でも寝台車の方が楽なので、夜と同じスタイルで横になっ て、3時間ほど寝た。今回の三番目の都市である淄博市まで7時間掛かるゆっくりとした列車である。 しかし40分程遅れて、8時間掛かっていた。駅には崔さんの従兄と彼の彼女の三人が迎えに来てくれていた。雨の後で青空が広がり、少しのんびりした街であ るのを感じる。駅前の道が少し狭いようで。車が混雑していた。タクシーでホテルへ、ところが現金が少ないため、カードで支払いをしようとしたが、全然受け 付けてくれず、中国で発行したカードでなければ、だめとのこと。慌てて、伯父さんに頼んで、仮払いをしてもらった。明日銀行へ行って、円を換金しなければ ならない。 荷物をおいて、近くの公園や広場があるところを散歩する。綺麗なバラが咲いていたので、今日の収穫はあった。淄川の出身は車君であるが、彼に も電話をしてみることにしたが、その後連絡は無かった。 叔母さんと息子さんと4人でしゃぶしゃぶをまたまたご馳走になる。山羊の肉で、結構柔らかかっ た。地ビールを1本飲んでお腹一杯になる。 ホテルでは残念ながらInternet接続が出来ず、今日撮った写真150枚程を整理して、そのままの姿で横 になってしまうと、朝まで布団にも入らずに寝てしまっっていた。疲れは感じないが何時間でも眠れるのは不思議である。 喉がまだ痛い。鼻水の段階にならな いと、治らないので、まだ2-3日は、しんどさが続きそうである。
5/5(月)
いい天候であるが、霞んでいる。 半袖でも大丈夫のようで、気温も30'C近くまであがるとのこと。ホテルの朝食バイキングで腹ごしらえをする。喉が痛 く、痰が出る。身体がだるい。 今日は車君の故郷淄川市内を観光する。崔さんが9時にホテルに来てくれて、ひとまず中国銀行で現金を500元下ろす。一発 でみずほ銀行から直接元で引き下ろすことができた。 その後バスで淄川へ向かう。35分程かかった。淄博市の南にあるようである。 着くと暫くして、車君 がいつもの服装で現れた。昨日は威海に行ってきたが、雨だったそうである。伯父さんの車で公園まで乗せてもらう。12時半過ぎに見終えて、タクシーでレス トランへ、今度は車君のお母さんと従弟が待っていてくれた。小柄で日焼けしていて、保険の仕事をしているそうである。お元気である。 料理を一杯並べてく れた。ビールは5人で8本も飲んでいた。 記念写真を何枚か撮り、腹を空かせるために、もう一つの公園と動物園を散策、人民広場を回って見ることにした。 結構バラと牡丹の花が咲いていたのは、良かった。5時半にバスで淄博に帰ってきた。眠くて寝込んでしまうほどであった。風邪は鼻水の状態になってきてい て、何度かちり紙で拭くほどになってきた。 もう少しで直る段階である。 シャワーを浴びて、写真の整理をしたら、240枚程撮っていた。 森林公園へ 行った折の写真で、やっと唐琳琳さんの顔が分かった。 昼食にお腹一杯食べたので、コーヒとパンで簡単に夕食を済ませ、明日の最後の訪問地濱州を夢見て、 早めに寝ることにした。 9時半就寝。
5/6(火)
風が大変強いがいい天候である。気温は31'Cになるとのこと。半袖でも暑いほどであった。8時半にホテルをチェックアウトするが、崔さんの叔母さんが既 に支払いをしてくれていたそうで、申し訳ないことをしてしまった。学生の親に迷惑を掛けるのは、最低であるかもしれない。 濱州に向かう時に黄河を見るこ とが出来た。水は相変わらず、茶色というか褐色に濁っていたが、雄大なものであった。 濱州公園で見事なバラを思う存分撮る事ができて、満足する。それに しても市役所はその前の広場の広々とした大地は日本では考えられないものである。公園の管理だけでも大変なことであろう。市民のことを大切にする国であ る。中海には、空母が浮かんでも絵になるほど広い湖があった。崔さんの友人の馬文さんが案内してくれる。舞踊をやっているそうで、スマートなスタイルをし ていた。彼氏の車で就業中なのに案内をして貰う。 夕食は魚料理で何年振りかの鮒を食べた。歩いてホテルへ帰る。ビールを2本飲んだので、お腹一杯にな る。 このホテルはInternetが使えるので、3日分のデータをアップする。漸くにして山東省ツアーを終えることができた。皆本当に有難うさんでし た。6月の期末を終えて、ここでの講義が終るかもしれないので、本当にいい思い出にすることができた。11時過ぎに就寝する。
5/7(水)
今日もいい天気になりそうである。とうとうこのツアーでは雨には遭わずで、いい気候であったことは幸いであった。5時に目覚めて、そもまま起床。 PicasaWebアルバムへのアップロードを試みて。濱州の分は何とかできたが、他のものはなかなか一発で行かない。やっと3時間掛かって、今回のツ アー分を登録することができた。 何かの調子でサーバとの接続が切れるようである。 朝食は塩辛くて、あまり美味しくはなかった。 9時にホテルに来てく れてをチェックアウトして、同じ大学の学生と3人で済南に向かう。4時間半位でかえれるようで、早めに帰寮できそうである。 汽車駅のケッターキィーで昼 食を採り、K92と86路のバスで大学に無事帰ってくることができた。于さんはもう帰ってきていて、バス停まで迎えに来てくれた。 耿 丹丹さんには威海で遭えず、申し訳なかった。 しかし今回のツアーで 于さん、李さん、汪さん、王さん、車君、崔さんには大変お世話になってしまった。 お礼の言いようが無いほどである。 シャワーを浴び、洗濯をして、早め に寝ることにする。 11,12の天津行きの切符が買えたそうで、一安心する。何時につくか確認し、末永氏に連絡をする必要がある。これで、やっと学生の 故郷ツアーを無事終えることができた! どうも謝謝! 写真の詳細はhttp://picasaweb.google.com/tantan1945/ を参照してください。